震災後、結婚式の撮影が無くなったり、しばらく延期になったことで、ボランティアをした時のお話
津波で流され、泥だらけになった写真を水で洗浄し、綺麗にするボランティア
南三陸ベイサイドアリーナに集められた、泥だらけになった無数の写真たち
アルバムごと流されたものや、バラバラに流され1枚だけになったもの、家族との写真 友だちとの写真 恋人との写真 沢山の写真たち
写真を水で洗い、乾かすという作業
しかし、その作業は簡単そうに見えて、地道で精神的にも疲労するものだった
一見すると、海水には浸かって泥はついているものの、写真の絵は見えているし、このままでもいいんじゃないかなと思える写真たち
だけど、生乾きのままでは、カビやバクテリアが繁殖してしまうので、水でさっと洗い、丁寧にペーパーで泥をとってあげるのだが、同時に写真の絵も剥がれてしまうのである
写真を生かすための作業のはずが、写真を死なすような作業
それがとてもつらくて、気持ち的にしんどかった
そんな気持ちを抱えながら、一冊のアルバムを任せられた、結婚式の写真だった。
L版でプリントされた写真が、何百枚も入ったアルバム、プリントケースには入っていたものの写真は
泥だらけだった。
一枚一枚を丁寧に洗浄しながらも、気持ちはしんどいまま作業を進めていった
その写真たちを見て、もっとこう撮ったらいいのになぁ
などと、仕事目線でも見ていたと思う
そんな中、一枚の素敵な写真を見つけた
泥だらけではあったが、ふたりが手を繋いで見つめ合っている笑顔の写真
なんてことない写真だったかもしれない、でもすごくいいなと思える写真だった
この写真は生かしたい!
そんな思いで、より丁寧に泥を洗い流した
「ダメだ」どれだけ丁寧に洗っても絵が剥がれてしまう、泣いてしまいそうだった
泣いてしまいそうな気持ちを堪えながら、その写真を丁寧に丁寧に洗い流した時、そこに残った絵は
ふたりが手を繋いだ部分だけだった。
でもその時、確かな気持ちで感じたことは、
この写真をふたりが見つけた時、消えてしまったふたりの笑顔が、ふたりには必ず見えるだろうと
その気持ちを感じることができてから、普通と感じて見ていた写真たちも、ふたりにとってかけがえのない時間を思い出すものになるんだろうと、丁寧に洗い流すことに集中できた
世の中には沢山の写真が溢れている
なんてことのない写真であっても、それが宝物であったり、たった一枚だけの写真でも、そこからいろんなことを想像させてくれるものだったり、写真が持つ力はとてつもなく大きい
今は、スマホで簡単に綺麗な写真が撮れるし、スマホがアルバムになっていたりもする。
でも写真の洗浄のボランティアをさせてもらって気がついたのは、あれだけ無数の写真が生きて残っている中で、DVDや画像が残っているだろうパソコンやハードディスクを1つも目にすることはなかった。
プリントされた写真はなんて強いんだろう
結婚式の撮影でも、データのみ撮影の依頼が増えてきている
簡易的にでも構わないから、アルバムは作ってほしいし、プリントしてほしいとな願っています。
あのボランティアを通して感じたことは、
プリントして、手に触れて、はじめて写真になるということ
僕も写真を撮る者として、あの日感じたことをこれからも伝えていきたい
これからも沢山の人たちの人生が写真と共にあり続けますように。。。
Avec une photographie 「写真と共に」
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